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シムさんのこと

※2007年1月27日にmixiに投稿していた文章です。

 

寒くなってくると、シムさんのことを思い出す。

そのころ僕たちは、高円寺は早稲田通り沿いにある個人経営のコンビニでバイトしていた。これがまたひどいコンビニで、バイトというバイトが店の金は抜くは商品は盗むはで、バックヤードには「もうしません」と書かれた念書が壁一面に貼られていた。僕は出勤するたびに増える念書を見て、初めて社会というものを見たような気になった。
僕と友人のさとひら、それに韓国人のシムさんは、僕が知る限り盗みを働かない数少ない店員だった。「クリスマスキャロルの頃には」がヘビーローテーションする有線放送に首まで漬かりながら、僕らはぐずぐずと仕事をしていた。

シムさんは石田靖に似た青年で、いつでも酔っ払っていた。
「おはようごらいます」
とまるでコントの中の人物のような動きで登場する彼は、毎日16時間以上シフトに入っていた。バイトに入ってない時に心配になってのぞきに行くと、案の定レジスターに突っ伏して熟睡していたり、ドッグフードが2万円とか、激しく計算を間違えたりしていたので、何度か時給ももらわずに手伝ったりしたものだ。
頭がはっきりしているときのシムさんは気のいい青年で、にこにことひょうきんに自分のことを話してくれた。彼は日大で写真を勉強するために日本に留学しており、まず日大を受験するために日本語を勉強中で、そのために学校に通っているのだといっていた。なんかもうちょっとやりようがありそうなもんだと思ったが、まあとにかくそんな遠大な計画のために異国に来てしまう彼はすごいなと思った。
シムさんは酒も好きだが女の子も大好きだった。日本語学校の教務課の女の子がかわいらしくて好きでしょうがないと言っていた。その割には、店のアイドル的存在だった綱森ちゃんにも積極的なアプローチを見せていた。韓国に帰ると、婚約者が5人いる、とも言っていた。その話を聞いて、シムさんのあまりに杜撰なうそつきぶりを大変好ましく思った。

お気楽な彼だったが、生活が楽ではないのはそのシフトの入れっぷりを見ていれば推察できた。深夜勤務は原則二人ですることになっていたのだが、シムさんが毎日固定で、相棒がくるくる入れ替わっている状態だったのだ。

年の瀬が押し迫ってきたある日、僕がレジに入っていると、非番のシムさんが店にやってきた。珍しく酔ってもおらず、にこにこしてもいなかった。
「まっこいさん、お金貸してください」
いくらだと訊くと、5万円だという。家賃なのだそうだ。僕は珍しく馬券を取った直後だった(シンコウラブリィのMCSだったかと思う)ので、ちょっと迷った後その金を貸した。

その日からシムさんは姿を消した。
完全に彼を当てにしていた店長は、なんどもなんども電話をしていたが、連絡が取れないようだった。彼がいなくなってコンビニは忙しくなった。彼の代わりに入るほかのバイトは、勤務時間中にいなくなる奴やバックヤードで廃棄品をもしゃもしゃ食ってる奴などろくな奴がおらず、働いていると気持ちが荒んだ。
常連客たちは、みな「シムさんどうしたの?」と訊いてくる。僕はとりあえず、「どっかでよっぱらってるんじゃないですかねえ」と答えていた。

晦日は地獄だった。ひっきりなしに訪れる客、客、客が途切れない。その上、もう一人のバイトは出てこないわ、中東系らしい外国人がクルマが故障したらしくなにかをしきりにわめきたててくるわ、酔っ払った女性に新高円寺の駅まで連れて行けとせがまれるわろくなことがなかった。当然、レジをしめると金額が合わず、店長は疑惑のまなざしをむけてくる。
ほとほと嫌になりながらレジの付属品になっていると、突然客がいなくなった。時計を見ると午前3時を回っていた。いつの間にか年が明けていた。

1月1日の早稲田通りは人影もない。中野方面から差してくる日差しは考えてみれば初日の出なのだが、コンビニのエプロンをつけていると何のありがたみもない。箒を出して、ごみを集めたいのか散らしたいのか自分でも分からず適当に動かしていると、ポンと肩をたたかれた。
「まっこいさん、おめでとうございます」
シムさんだった。
「おおお、シムさん!どうしてたの、どこにいたの?」
「え?わたし、うちにいました。風邪引いて寝てた」
「えええ、店長何度も電話してたよ?」
「電話?かかってきませんでした」
「…止まってただけかよ。」
それから二人で店番をした。ぜんぜん客が来ないので、店の酒を買ってすこし飲んだ。シムさんはすこしとは到底いえないほど飲んだ。僕はただただ、目の前でシムさんがよっぱらっているのが嬉しくて嬉しくて仕方なかった。

帰り際、シムさんは金を返してくれた。
その日からパチンコの調子が悪くなった。この泥沼は2月になっても3月になっても抜けられず、あんまりにも勝てないので、就職活動をはじめることになる。よくわからないが、なんとなくシムさんに世話になったような気がしている。