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Negiccoさんのここまでの足跡をざっくり振り返る

カリプソ娘に花束を」のウィークリー6位達成、おめでとうございます。
コア層の重課金に依存せずに達成したこの順位は、大変意義深いものだと感じます。長い歴史を誇り、ゆっくり着実にアイドルの世界で存在感を増し続けているNegiccoさん。この記事では、この稀有な事例がどのような道のりをたどってきたのかをまとめてみようと思います。

ここでは、Negiccoさんの2013年以来の進撃をまとめます。あんまり正確じゃないですが、Negiccoさんの戦略を年毎にざっくりまとめると、
2013年 楽曲外注・定期公演対バン期
2014年 ヒットチャート重視期
2015年~ 大箱進出期
~2016年 再基礎固め期
2017年 新潟回帰期
という感じになるのではないかと思います。

■楽曲外注・定期公演対バン期
Negiccoさんの楽曲面における最大の武器は、connieさんというコンポーザー・アレンジャーを擁していたことでした。ですが、T-Palette Recordsに移籍後2枚のシングルを出した後は、表題曲を外注する方向に舵を切ります。西寺郷太さんとNONA REEVES小西康陽さんが起用され、彼らのネームバリューを利用してファン層の拡大を狙います。
ここで重要なのは、起用されたアーティストたちはconnieさんが深くリスペクトしている方々である、ということです。なので、外部作家を招聘しても、もともと楽曲のテイストにおいてconnieさんに影響を与える人選なので、どこかで親和性が保たれる、というのと、connieさんがカップリング曲をがっちり固めることで既存ファンの安心感も担保される(しかも、その曲は表題曲作家のオマージュになっているので、表題曲に対する好意が増幅されるようになっていました)。実際愛のタワー・オブ・ラヴ(西寺郷太作品)でそれまでの3割増、アイドルばかり聴かないででさらにその倍に販売枚数が増加しています。

これと並行して、定期公演でジャンルを問わずさまざまなミュージシャンと対バンをしつづけることによって、いくつかの効果があったのではないかと思います。
・ヲタクの音楽リテラシー向上・選別
とにかくいろんなジャンルのミュージシャンと対バンするので、そもそも音楽好きなファンが集まる効果があったのではないかと思います。それにジャンルがぶつからないミュージシャンのファンは、異質なだけに比較が発生しにくいので、新規ファンとして獲得しやすい側面があると思います。
・市場調査
そして運営サイドとしては、集客や会場の反応から、 Negiccoのファンにどういう音楽が受けが良いのかを調査できたのではないでしょうか。
・人脈づくり
応援される能力に優れたNegiccoさんたちは、ここで出会った人々とこのあともいろいろな形で関わりを続け、活躍の場を広げていきます。

■ヒットチャート重視期

前年に築いた地盤をもとに、ヒットチャートにはいることによってマスメディアによる拡散・権威づけの獲得を目指した年です。
矢野博康さんの作品であるトリプル!WONDERLANDでは9形態シングルを発売、ライブチケット付きCDなども販売されましたが、これはあまりうまく行かなかったようです。大量の在庫が残り、イベントのハズレ賞品として配布されたこともありましたw ですがウィークリーチャート16位に入り、陣営には一定の戦える感触が残ったようでした。
そして、勝負シングルとなったサンシャイン日本海では田島貴男さんが起用され、メンバーもconnieさんも「ウィークリートップ10に入りたい」ことをアピールしました。それまでは、同じCDを大量買いさせることにメンバーも抵抗感を示すことがあったりしたので、当時のファンはその方向転換に驚きましたが、その願いを叶えたい気持ちに突き動かされて、さまざまなスタンスはありつつも結果的には焦土作戦を完遂、市場に送り出されたシングルは買い尽くされました。しかし、それでもわずかに及ばす11位。文字通り日本中の商品を買い尽くしたファンの間には徒労感がひろがりました。これを受けて運営サイドは予定外のシングルをリベンジのために発売することを急遽決定、光のシュプールは、作曲connieさん、アレンジは田島貴男さんが担当する勝負体制でリリースされ、ミュージックカードなどの手段も動員してウィークリー5位を達成しました。さらに、リリースイベント最終日には、アルバムの発売が発表されるなど、勢いを維持する施策が採られました。
僕はこの時、すぐにでもNegiccoさんの躍進がはじまって、イベントでの接触などは出来ない遠い存在になってゆくのだと思っていました。ですが、この時期のオリコンウィークリーチャートは、一般層への訴求力をかなり失っていました。結果、一般知名度への影響という点では、局面が一変するほどの効果はありませんでした。
しかし、この権威付けは無意味ではありませんでした。サトウ食品の全国CMに起用されるなど、地元新潟の産業界、それからNHKなどの中央マスコミには影響力がありました。もう、ちょっとテレビに出たからドカーンと世界が変わるような時代ではなくなりましたが、適度に取り上げられることは依然として大きな意味があります。Negiccoさんが新潟に軸足を置き続けていたことが、ここで吉と出た感じです。

■大箱進出期~再基礎固め期

これはかなり雑に丸めていますが、まず、年明けにリキッドルーム2DAYSを開催、その後、NHKのMusic Japanにゲスト出演、Perfumeさんとの再会を果たします。
春には新アルバム「Rice&Snow」を引っさげて全国ツアーを敢行しています。この中で行われた新潟県民会館でのライブの際に、ファンクラブと専用サイトが発足しました。(このサイトの「スケジュール」ページが出来てから後、次第に予定の発表が早くなっていきます。)
そしてそこで増強された動員力を背景に、「ねぇバーディア」リリース週の最終日に日比谷公園の野外音楽堂でのワンマンに成功します。そしてここでリーダーNao☆ちゃんから「来年武道館でのワンマンを目指す」宣言が。9月にはPerfumeさん主催Fes「三人祭」に出演、その後「Negiccoと2マンに繰り出そうツアー」などで、他界隈との対バンで動員力を強化します。
翌年にはフルバンド編成による全国ツアーを通じて中野サンプラザ公演成功、そして、夏にはNHKホールでのワンマンを成功させます。
しかし、ここでリーダーNao☆ちゃんから、当面、急いで武道館を目指すのはやめる、という宣言がなされます。NHKホールの収容人数は3800。武道館ワンマンを口にしてもおかしくない位置まで来ていましたが、ここまでの大箱公演が目標へのプロセスになってしまい、それぞれの公演を心から楽しむことができなかったとのコメントもありました。陣営としても、拡大路線を一旦見直すことになったようです。大きな会場で、たくさんのファンを集めて、たくさんのメディアに出続けて、となると、運営サイドも陣容を整えざるを得ず、信頼できる少人数で家族的な運営をしてきたNegiccoさんとは別のものになっていく運営側の懸念もあったのではないかと思います。このあたり、マキタスポーツさんの「第一芸能界、第二芸能界」の話が思い浮かびます。


■新潟回帰期

そこで新潟県内のホールをめぐる「ホームでホール」ツアー、地方の小さなライブハウスをめぐる「ネギの産地でこんにちネギネギツアー」が開催されます。ファンを身近に感じられる温度の高いライブを通じて、Negiccoさんは原点回帰に向かいました。その集大成的に、2016年末には、苗場プリンスホテルで宿泊して楽しむイベント「私をネギーにつれてって」が開催されました。
そして、2017年初頭には私立恵比寿中学さんとの2マン、その後ライブハウスワンマンツアーが行われ、最終日のZEPP DIVERCITYは平日にも関わらず成功を収めます。夏には14周年を記念してベスト盤が発売されました。この夏には、かねてからMeguさんが夢としていたももいろクローバーをはじめとするスターダストプロモーション所属グループとの共演が実現しました。
秋には「NEGi FES 2017 in 新潟・北方文化博物館」が二日間開催されました。ネギの産地ツアー中には、webコマーシャル「かぜぐすリリック」が公開され数日で100万再生を突破、AKB紅白への出演も果たしました。
NEGi FESはそれまでは所沢航空公園で行われていたイベントでしたが、その時からフードはすべて新潟県の業者によって提供され、関東の人々に新潟の良さを伝えるベクトルははっきりしていました。新潟県での開催は、満を持してのものだったと思われます。
その後、第二回「私をネギーにつれてって」が開催されました。このイベントは、おそらくNegiccoさんの年間スケジュールの中でも核となっていくものだと思います。新潟に全国から観客を呼び寄せる、という理想は、Negicco陣営の理想としてずっとあったものだと思いますが、春のツアーで使われたキャッチフレーズ「Live Local, Live Nice. 」はこのコンセプトを自覚的に打ち出したものだったんだなと、今にして思います。2017年は、ついにNegiccoさんが歌い続けるための戦略が形になった年でもあったのではないかと思います。

■まとめ

2015年からのNegiccoさんの軌跡は、「何をもってNegiccoは成功したといえるのだろう」という模索の歴史でもあったように感じます。
勿論、沢山の人に音楽を届けるのは大目標なのだと思うのですが、Negiccoというグループ、陣営の強みを考えたときに、ある程度その地域性を活かしたときにそれが最大化できるのではないか、という方向に向かっているように思います。
そもそも流行歌というものが成立しにくいこの時代、別のくくりで共通点を持つ人達にむけて発信する、という戦略が必要なのではないかと思います。
そういう意味で言うと、Negiccoさんは「新潟」「渋谷系」「幸せ」「15周年」といった幾つかのキーワードで囲い込める領域を結界とする戦略を固めつつあるのだと思います。
着実に積み上げるのは Negiccoさんの得意技だし、「カリプソ娘」のリリースイベントの動員を見ていると、その積み上げがとうとうキャズムを超えるところまで来た観があります(ずっとそんなこと言ってるので今度も勘違いかもしれませんがw)。
Negiccoさんは、単に長くやっているだけでなく、独自路線を切り開き続けるフロントランナーでもあります。
そしてたぶん、すべてのアイドルさんは、その特性に応じて、結界を張れる場所を探さないといけないのです。
Negiccoさんはそのロールモデルとなる存在だと思います。