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国民の青春を浄化する巫女・アイドルネッサンス

ディファ有明で行われた、アリアケでバトルネッサンス!! に行って来ました。大きなライブだったので、イベントレポートはナタリーとかを見ていただくとして、ここではライブを見ていてぼんやり考えたことを書きます。よく御存知の方には今更な内容だと思いますが、うっすい客の感想ということでご容赦頂けましたら幸いです。


■救済される青春時代
序盤にルネッサンスされた名曲を曲順に並べると、以下のようなリリース年度になります。

PTA 光のネットワーク 1990年
お祭りマンボ 1952年
若いってすばらしい 1966年
ホーリーアンドブライト 1979年
木枯らしに抱かれて 1987年
ベステンダンク 1990年
Still love her (失われた風景) 1988年

90年近辺をボリュームゾーンとして、少しづつ各世代に目配せしている感じがあります。70代むけにお嬢、60代向けに槇みちる、50代むけにゴダイゴ、おそらくファンのなかの結構な割合を占める40代むけに90年前後のヒット曲。これに、KANA-BOONやオリジナル曲(5センチメンタル)を混ぜて、現代の若者にも配慮しているのだと思います。
音楽とか匂いとかいうのは不思議なもので、文字や記憶よりもずっと肉体に近いところで、忘れていた過去を蘇らせることがあります。つまり、これは会場に集まったいろんな世代の観客の青春時代を念入りに蘇らせるセトリなんだと思います。と、いうより、恐らく名曲ルネッサンス、という概念自体がそういうことなんですよね、きっと。年齢の高い世代にとっては思い出の中で抽象化されつつあるものを、改めて聴くことで血肉を備えた現実として蘇生させてくれる。

しかも、ここで蘇る青春は、アイドルネッサンスという若き俊英たちをよりしろとしています。思い出して見てください。青春なんて、大していいもんじゃなくなかったですか?まだ何者でもなくて、誰と生きていくのかもわからず、焦りと不安と無力感に苛まれる日々じゃなかったですか?僕はそうでした…。年食って余命が減ってくると、それがたっぷりあった頃のことが懐かしくなるかもしれませんが、実際、そんないいもんじゃなかったはずです。そうだと言ってください。
でも、あんな可愛らしくて歌もダンスも鍛えあげられた巫女さんたちによって語り直されると、その歌が蘇らせる僕たちの過去までキラキラしていたかのように錯覚できます。制服っぽい衣装、校則で制限されたような髪型、タイプの違う8人の美少女たち、それらはきっと、我々が当時好きだったり、女性だったら憧れていたクラスメイトの面影を投影し易いように設計されているのだと思います。
結果、あの会場に集まった大人たちの青春が世代ごとに拾い上げられ、彼女たちによって丁寧に浄化されるのです。(大人じゃない人たちにとっては、同世代の女の子がオールタイム選抜の名曲をやってくれるわけで、それはそれでちゃんと機能すると思います。)


アウフヘーベンされる青春
そんな風に人々を癒したあと、彼女たちの個人的な思い入れの強い曲が一曲づつ演じられました。このブロックは、彼女たちの想いのこしややり残し、わだかまりを浄化するためのブロックです。客席には様々な世代が集まっているけど、アイルネさんたちが好きという共通項があるから、彼女たちの思いが浄化されるところを見て嬉しくないはずがありません。

こうして、観客と演者に一通り手当てしたところで、「若者のすべて」が演じられました。
たぶん、演者も含めた「すべての若者(もしくは若者だった人)」をここで一度に拾い上げようということだったんだと思います。
この公演にむけてtwitterの個人アカウントを開設したり、対バンを重ねたりしてきたアイドルネッサンスの夏の終わりを締めくくるニュアンスもあります。
いろんなフォーカスが、この名曲にビシッと集まって、すべての青春が浄化されたのだと思います。この曲の詞を書いて歌っていた人はもういませんが、その魂を送るイメージと夏の終わりのイメージがあまりにも一体化していて、すべての平仄が揃う奇跡的な瞬間だったと思います。あとでメンバーさんたちのblogを読んだら、この曲をめぐるそういう事情も、ちゃんとスタッフからメンバーに継承されているんですね。「若者のすべて」自体も、デビュー前から候補曲に上がっていたとのことなので、このタイミングというのは完全に狙いすましてのものだったようです。演者さんももちろん素晴らしかったけど、スタッフワークが倍力装置として働いていて見事だったと思います。


■そして現在、さらに未来へ
そのあとはキラーチューンを連打するパートで、もう満ち足りて音楽に身をまかせていたわけですが、「君の知らない物語」の演出は素晴らしかったです。大サビのところで背景に現れた美しい星空は、まさに今年の夏の締めくくりとして、アイドルネッサンスと見上げた夜空という新しい思い出を書き加えてくれる体験だったのだと思います。
丁寧にそれぞれの思い出を愛でてくれたあとに、そっと今現在に引っ張り戻してくれる、そういう構造なんだな、と思いました。

これは、アイドルネッサンスがオリジナル曲をやりはじめた意図と繋がってると思います。恐らく多数のファンの心の中に消えない光彩を残していく彼女たちを十年後、二十年後に思い出す時、そこで霊媒としての彼女たちだけが思い出されるのは、彼女たち自身にとっても、彼女たちを好きな人たちにとっても本意ではないでしょう。そうでなくなるためには、同時進行で彼女たち自身も歴史を作っていかなくてはならないのだと思います。そしていつの日か、次の世代のアイドルネッサンスが、彼女たちの思い出をルネッサンスしていくのでしょうね…。

戦術的に強いアイドルはいっぱいいますが、これほど戦略的なアイドルってなかなかいないんじゃないかなあと思いました。こんな歴史観を持って運営してる人たちは、おそらく随分先まで考えているんじゃないかなあ、と思います。
そう考えると「アイドルネッサンス」っていうグループ名自体も野望に満ちたものに感じられます。全ての名曲を飲み込みつつ、アイドルというジャンルごと引っ張り上げてやるぜ、みたいな。考えすぎですかね。

だから、次のシングルがまたこいちゃんなのも、対バンの相手がたぶんベボベなのも、きっと何かの意味がある。(個人的にはエレクトリックサマーみたいなのを期待したいです。雨の匂いがしそうなやつ。)そう思って今後の展開を見たいなあ、そう思ったライブでした。