あなたを見ているときだけ世界は完璧だ

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俺の311

被災民でもなんでもないですが、なんとなくこの日に起きたことを忘れたくなくて書きなぐったメモを置いておきます。内容はmixiにおいてたのと同じです。

以下、そのメモ。

3月11日金曜日は、すこしばかり緊急性を帯びた一日として始まった。今作っているゲームのリリースを間近に控えていて、俺は泊まり仕事をするつもりでいた。嫁にそれを話したら、嫌そうだったけど、まあこればっかりは仕方ない。いつものようにうとうとしながら階段を上がって、寝ぼけ眼でたどる会社への道は、いいお天気だった。

メールチェック、デバッグ掲示板のチェック、データ修正、動作チェック、データ修正、動作チェック…いつもと同じ一日が始まる。いつもと違うのは、俺が甘い飲み物を飲んでないことだ。3日前、久々に体重計に乗ったらなんと体重が103.5Kg。大台どころの話じゃない。震え上がった俺は、流石に「毎日嫁に体重を申告するダイエット」を始めることにした。よって、その日の昼飯は蕎麦。同僚の212君が付き合ってくれたので、楽しくおいしく蕎麦を頂いた。蕎麦最高。おいしい。蕎麦最高(自己暗示)。

職場に戻ってすこし働くと、チームの定例ミーティングの時間になった。今日は会議室が空いていないので、休憩スペースでの会議だ。シン石丸さんの仕切りで、完成を間近に控えたゲームの残作業が整理されていく。すると、オフィスの床がゆっくりと揺れ始めた。正直、またかと思った。前日も昼に小さな地震があり、それでなくても近隣の工事でひっきりなしにビルが揺れていたので、すっかりそれに慣れていた。だから最初は「あー、はいはい、会議会議」という感じだった。
しかし、この揺れは違っていた。いっこうに終わらず、しかも徐々に強くなってくるのだ。俺は神戸の震災の時にも塚口にいたので、大地震が来る前にはただならぬ轟音が聞こえるものだ、と思いこんでいた。今回は真昼だったこともあってか、そういった音は一切聞こえなかった。だから、半笑いでうずたかく積まれたおもちゃが落ちかかるのを手で押さえたりしていた。が、揺れはそれでも治まらない。どころか、ますます強くなる。流石に会議を散会して各自の机に戻ると、建物全体が激しく横に揺さぶられ始めた。俺らはあわてて机の下に身を隠した。
机の下にもぐるとすぐ、たくさんの物が落ちる音や、砕ける音が聞こえてきた。ここに至って、俺の頭の中に阪神の震災の記憶がよみがえってきた。恐怖で体が竦みつつも、それ以上に激しい怒りを感じていた。二人の娘を残してこんなところで死んでたまるか、地球ふざけんな、今すぐやめろ、とそう思った。そう思いながら机の下にいると、見覚えのある細いスーツの足がそばを通って行くのをみた。tez600だ。相変わらず状況の見切りが早いわい、と思いながら机の下から出てみると、職場は大分様変わりしていた。一見して一番ひどかったのは、Oz_oneが座っていた机だった。背後の本棚は突っ張り棒で地震対策が取られていたものの、真ん中から折れて、Oz_oneの机の上に崩落していた。Oz_oneが無事で本当によかった。

余震が続く中を、tez600の後に続いていったんビルの外に出た。外に出て間もなく、mizunonさんやisoreiさんによる点呼が始まった。うちの社員はしっかり掌握されて大丈夫そうだ。でも、俺は子供の安否を確認することと、それを嫁に伝えることで頭がいっぱいだった。iPhoneはもちろん通じない。さすがの回線品質。いったん職場にもどろうか、ということになったので、俺は公衆電話に走った。
まずは学童保育に電話。つながらない。続いて保育園に電話。こちらはすぐにつながって、副園長先生と話ができた。子供たちは全員無事で、園も被害はない。通常の保育が可能、とのことだった。まずは一安心。あとは小学校だが、こんどは学校に電話してみた。すると、生徒たちは全員いったん校庭に避難していたらしい。こちらも無事は確認できたが、可及的に速やかに迎えに来い、と言われる。仕事も大詰めだが、こんな非常時に子供を放っておくことはできない。しかたないか、などと考えながら受話器を置こうとすると、公衆電話ブースが激しく揺れ始めた。隣の工事現場の人たちがパニクっている。たちまち通りは怒号に満たされる。「建物から離れろ!」「通りに出ろ!」の声があちこちから聞こえる。俺も電話ボックスを出て通りに出た。クルマもいったん止まって様子をみているようだ。揺れが治まるまで待って、俺は通りの反対側の電話ボックスに飛び込んだ。妻の勤務する病院に電話して、とりあえずコドモの無事を伝える。
とりあえず当面やらなきゃいけないことはやったわい、と思いながら電話ボックスを出ると、会社のほうから6tumiさんたちが歩いてくるのが見えた。聞けば、余震が治まらないので、近くの神社に避難することになったそうだ。

俺は一刻も早く家に帰りたかったので、点呼が終わってすぐ、チームリーダーのシン石丸さんにいったん帰りたい旨を伝えた。その時点では、子供の顔を見たら、職場に戻って働くつもりだった。交通機関が動いていないことが分かったのはその後のことだった。打つ手がないので、我々は神社の境内にひとまとまりになり、情報の収集に努めた。
そこでようやく、NHKの放送をユースト経由で目にした。そこには、どんなフィクションでも目にしたことのないような津波被害の惨状や、コンビナートの火災が次々と映し出されていた。電話としてはさっぱり役立たないiPhoneは、こういう情報や、twitter端末としてはしっかり機能したわけだ。だけど、それを見ている俺は押井映画の登場人物のようにぼおっと現実感なくその画面を見ていたと思う。
電車が運行をやめたのが15:30。俺たちは17:00まで神社の境内にいたが、JRの運行情報ページがいっこうに更新されないのに業を煮やし始めた。isoreiさんから、帰宅にタクシーを使っても構わない旨のありがたい通達を頂いたので、とにもかくにも動き出してみることにした。ちょうど同じ街に帰る同僚がいたので、俺は彼らと一緒に上野駅を目指した。

この時点では、街にはまださほど重苦しさは漂っていなかったように感じた。金曜日の午後でもあったし、遠くの街のニュースを見ていなければ、大きめの台風が来た、けど直撃はしなかった、くらいの雰囲気だったと思う。飲食店も普通に営業していて、歩行者が多い分、上野付近は普段よりも賑やかなくらいだった。同行の同僚はここで食事をとりたいとのことだったので、ここで別れる。

上野駅に入って愕然とした。なんだこりゃ。駅構内は広いとは言えない通路にまで、人、人、人が詰まっていた。やっとのことで改札近くに出ると、運行予定なし、復旧の見込みなしとのアナウンス。とりあえずtwitter上野駅に来たけどダメだったと書き込んだ。嫁も子供の迎えに向かってるとは思うけど、早く帰って顔を見ないと落ち着かない。不安で泣いている顔が頭に浮かぶ。タクシープールは長蛇の列だし、そもそもこんなところで余震が来たら逃げる場所がない。とりあえず便所だけ借りて別の場所に行こうと思ったのだが、これがすさまじい列でここに並んでたら絶対ジーパンを汚すの確定だ。

この緊急時に、俺はまたいつものような緊急時(?)を迎えたわけだ。脂汗を流しながら、マクドやらコンビニやらに便所を借りに入るも、どこも長蛇の列だ。流れ流れて上野公園の便所にたどり着いたころには、パンツの中にホカホカした物体を生み落としていた…。幸い、ここのトイレはならんでなかったので個室に飛び込むと、危険物を処理した。幸い硬めのブツだったので大してパンツは汚さなかった。「今日最初のラッキーだな」と俺はニヒルにつぶやいた。

体が軽くなった俺は、不忍通りをタクシーを探しながら歩いた。だが、空車のタクシーなんてこない(まあ、事情を知ればどんなタクシーでも乗車拒否しそうだが)。バスもバス停毎に長蛇の列だし、そもそも道路自体が激しく渋滞しはじめていた。やはりこれは鉄道に期待か、と思い、山手線沿いに北上しながら電車の様子を見つつあるくことに決め、根津から日暮里方面に向かう途中で、社長から@tweetが来ていることに気付いた。そこには「JRは今日中は運転を再開しないと発表したよ」との情報があった。社長は今アメリカ西海岸にいる。上野駅にいた俺よりも、西海岸の方が情報が早いとは。でも、この時代、被災地よりも遠隔地の方が情報が多いというのはあり得ることだよな、と妙に納得した。
社長情報をもとに明治通りにでた俺は、タクシーを探しつつ北上を続けたが、道路の渋滞はますますひどい。道沿いのレンタカー屋ものぞいたりしたけど、すべて貸出済みの状態。結局田端まで歩いたところで、ようやく、徒歩帰宅を覚悟した。
いっぱい歩く。その考えは、最もたどり着きたくない結論だった。ここで俺はいつもの手に出た。「おいしいお菓子で自分をごまかす作戦」だ。コンビニで「チェルシー春の苺アソート」をゲットし、本郷通り巣鴨に向かった。

巣鴨に到達したのは午後7時30分を過ぎたころだった。甘いものを口に含みながら歩くのは結構快適で、俺は作っているゲームのデータのまずい点とその修正方法をみつけ、iPhoneにメモしたりしていた。しかしながら、このあたりで100Kgを超える体重に膝が悲鳴を上げ始めた。普段使わない両足の筋肉は固くこわばり、俺は体を引きずるように前へ前へ進んだ。ここで、なんだか聞きなれたはずの音がポケットから聞こえた。iPhoneのSMS着信音だと気づくのにだいぶ時間がかかった。嫁からだった。長女と無事合流できたとのメールだった。俺は拳を突き上げて声にならない声をあげた。嫁のもとにコドモがいる。なんという安心感。ありがとう嫁。ナイス嫁。目に涙がにじむのを感じながらあるいていると、背後から声をかけられた。ふりむくと、そこには会社の若き天才4人を引き連れたシン石丸氏の雄姿があった。彼らは俺よりも1時間あとに出たそうだ。俺の方もいきさつを話すと「なるほど。見通しが甘かったってことですね」と一刀両断された。そうだけど!そうだけど!
ちょうど食事を取ろうとしているところだそうだったが、先を急ぎたい俺は、ここで別れる。石丸さんもmizunonさんも、帰宅が難しい社員を自宅に迎え入れるそうだ。うちの会社の幹部はホントに大したもんだ。

ぶっちぎりで小物の俺は、それでも石丸氏にあったことで勇気づけられ、板橋を通過。環七を渡ったあたりで、妻から次女も回収との知らせが届く。これにさらに力を得て、志村あたりまできたところで、ついに足が言うことをきかなくなった。マクドナルドに転げこんで、コーヒーのタダ券を使用。コーヒーのタダ券のみ使用。疲れて判断力の低下した頭脳にのみ可能な破廉恥行為と言えよう。

そこから、どうやって家まで戻ったか、もうあんまりよく覚えていない。気がつくと、懐かしい我が家が朝と同じように立っているのを見てにやにや笑っていた。階段を上がって我が家に戻り、ドアのキーを回すと、家の奥から「パパ帰ってきた!」の声が。飛び出してきた長女を抱きしめると、思いがけず涙が噴き出してきた。激しく嗚咽した。長女はちょっとおかしそうに「パパ泣いちゃった」といいながら、俺の髪をなでた。次女を、妻を、抱きしめるたびに涙が止まらなかった。

まぬけな道中ではあったが、それなりの脳内麻薬がでていたのだろう。
社員の安否を気遣うisoreiさんからのメールに返信した後、100kgを超える体重を支えた右膝は痛くて動かせなくなった。全身に震えが来て、発熱した。嫁になんども礼を言いながら寝床にぶっ倒れた俺は、余震におびえる余裕もなく、泥のように眠った。