あなたを見ているときだけ世界は完璧だ

kolmeさんを応援するblogです。

最初はテンプレからなのかも

長女の学級だよりに、彼女の書いた文章が載っていました。授業の中で、クラスで近くの公園まで歩いて行ってドッジボールをし、負けちゃったけど面白かった、というような文章でした。
それを読んで、
「そうなんだ、ドッジボール面白かった?」と訊いてみると、
「負けちゃったからつまんなかったよ」という答えが返ってくるのです。
「なーんだ。じゃあ、そう書けばいいのに。」とは言ったものの、はて、自分が子供のころはどうだったかなーとちと考え込んでしまいました。

あんまり記憶は定かじゃないのですが、たぶん俺も、最初は「きょうは××をしました。とてもおもしろかったです」的な文章を書いていたんじゃないかと思います。そういういわゆる定型的な作文を経由して、だんだん思うところを書いてみたり、いろんな表現を試してみたりするようになっていったような気がします。
たとえば絵画や音楽の場合でも、個性を表現できるようになるのは、実は基礎の訓練が終わった後なのではないでしょうか。そういう意味では、「思ったことを書け」というのはちょっと段階が早すぎたかもな、と思いました。

それに、ある程度大きくなると、文章をかくということは、そこにある程度の自己の投影が求められる、イコール、発注者の意に染まないことを書く自由があるということ、さらに言い換えると、文章は自分のものだ、ということに意識的になりますが、長女にはたぶんまだそういう意識はないんですよね。単純に、先生やクラスのみんなに向かっての発言、と考えると、穏当なことを書くだろうな、それは、とも思います。

コドモを知識や経験の足りない大人だと考えるのは間違いだと常々思っているつもりなんですが、今回はまさにそれをやらかした感じです。難しいっす。